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日本だけではない!?スウェーデンでの「HSP現象」

はじめに


みなさんは、日常生活の中で、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉を耳にしたことがあるでしょうか?


2020年、「繊細さんの本」という自己啓発本がマスメディアに取り上げられたことをきっかけに広まった言葉です。


これを受けて、著名な芸能人が自身をHSPであると発信したり、様々なHSP関連書籍が出版されたり、SNSでの情報発信が活発になったりするようになりました。


2021年の今、書店の「心理学読み物コーナー」には、必ずといってよいほど、HSP関連書籍が並んでいます。また、SNSでの情報も増え、私たちは簡単にHSPという言葉にアクセスできます。


学術的な意図とは異なる形ではありますが、HSPという言葉は、「生きづらさ」を抱える人たちに、その「答え」や「理由」、さらにいえば「意味」や「価値」を与え、この1~2年で急速にその認知度が高まりました。


HSPの意味やこのラベルが広まることの功罪については、下記の記事をご覧ください。




日本だけではない?


本記事では、HSPという言葉が広く人々に受け入れられる過程やその結果を「HSP現象」と呼んでいます。


実は、この「HSP現象」は海外でも見られます。


興味深いことに(?)、最近ではスウェーデンの研究者が、自国の若者を中心にみられる「HSP現象」を記述的に分析した論文を発表しました。


Edenroth-Cato, F., & Sjöblom, B. (2021). Biosociality in Online Interactions: Youths’ Positioning of the Highly Sensitive Person Category. YoUng, 11033088211015815.


この論文は、日本の「HSP現象」を理解する手掛かりになるかもしれません。


そこで、本記事では、簡単にその内容を紹介したいと思います。



「HSP現象」のはじまり:スウェーデンの場合


日本の「HSP現象」は2020年がそのターニングポイントであったと思われますが、スウェーデンでは2012年であったとされています。


論文によれば、一連の新聞記事にHSPが取り上げられたことがきっかけだったようです。これを機に、HSP関連の自己啓発本やHSP自己診断テストが広まり、スウェーデン国内で人気になったといわれています。


スウェーデンでも、HSPは「弱さ」と「ギフト」の2つの側面をもつカテゴリーとして認識されています。



HSPを自認するスウェーデンの若者は何を語るのか?


この論文では、HSPを自認するスウェーデンの若者が、「HSPであることについてどのような認識をもっているのか」「HSPについてどのようなやりとりをしているか」を報告しています。


この論文では、HSPをテーマにしたネットの掲示板とブログの内容からHSPを自認する若者の記述を抽出しました。


短所と長所について議論するスレッドでは、HSPであることは「祝福」と「呪い」の両側面をもつことが協調されていました。例えば、「HSPは世界の美しさをより楽しむことができる一方で、不幸に苦しめられることも多くなる」といったような書き込みがみられます。このような記述は、世の中には「ふつう」の人たちがいて、「私(HSP)はそれ(ふつう)とは違う」という暗示がある、と著者らは考察しています。


他のスレッドでは、「強み」として、音楽に深く感動すること、創造的で親切な性格であることなどが書かれる一方で、シャイであることや自分自身に自信が持てないこと、男性的・女性的でないことなどの「弱み」も多く書かれています。このような記述には、HSPが自身の「弱み」を開示しあうことによって、それを乗り越えようとする姿勢がみえる、と著者らはとらえているようです。


また他のあるスレッドでは、自身がHSP自己診断テストの特徴と一致することが書かれたり、自己診断テストのリンクを共有したり、HSPの特性について質問がある人に回答するようなやりとりがみられたりしました。このようなやりとりには、「自分のことをもっとよく知りたい」という関心がみえ、スレッドに参加する若者が自己理解が深まるよう互いにサポートする様子が垣間見えます。


このようにお互いを自己啓発的にサポートしあうスレッドだけではありません。若者間で争いがみられるようなスレッドもあります。


例えば、あるスレッドでは、ある参加者が「私には欠点がない」と書き込みました。これに対して、他の参加者は、その考え方に反対したり、考えを改めるようにうながす書き込みをしています。これはある意味で「取り締まり」ともいえるでしょう。


どうやら、HSPの掲示板では、自己反省的で、自己啓発的で、思いやりのあるやりとりが好まれるようです。そこから逸脱する書き込みをすると、他の参加者から「内省」を求めるコメントや「否定」とも受け取れるコメントがつく様子がみられます。他の例も挙げると、「このスレッドは、自己憐憫に浸っている」との書き込みに対して、別の参加者は「このスレが嫌いなら、なぜこのスレに訪れるのか?」と反論しています。


「自分が本当にHSPなのか」、それを批評的に調査するスタンスのスレッドもありました。例えば、ある参加者は、HSP自己診断テストの妥当性を懐疑的に考え、感受性の高さに生物学的・臨床的なエビデンスがあるのかどうか疑問を示しています。このようなスタンスには、HSPの原因に対して様々な説明を許容することで、「HSP=自分」という支配的な自己認識から距離をとっています。


次のような書き込みもそれを表します。


「そうですね、HSPは精神医学的な診断ではなく、いくつかの症状や特徴を包括した言葉であるということのようです。自分の性格をよりよく理解するための指針にはなりますが、あまり深刻に考えすぎないほうがいいでしょう。」



おわりに


HSPを自認するスウェーデンの若者が、ネット上でどのようなやりとりをしているのかをみてきました。


本記事の著者は、しばしばTwitterやインスタグラムなどのSNSで、HSPを自認する人がどのような発信や交流をしているのかを遠くから眺めています。その様子をみると、本記事で紹介したスウェーデンの「HSP現象」は、日本の「HSP現象」にも共通する部分があるように思いました。


HSPであることの「強み」や「弱み」を開示したり、いわゆる「#HSPあるある」として自己理解を深めることを意図した「思いやりのある」発信があったり、HSPに否定的な発信に対する「炎上」「争い」があったり、そのようなSNS上のやりとりが日本でもみられます。


現在、日本では「HSP現象」を記述するような(少なくとも査読を経た論文としての)質的研究はないように思います。今後、日本でもこのような研究が行われると、さらに「HSP現象」への理解とその国際比較が進むのではないかと思われます。



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