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感覚処理感受性という新しいパーソナリティ概念に対する批判





今回の記事は、専門家向けである。これからHSPの研究を行おうと考えている学部生や大学院生にとっては大切な内容であると思う。もちろん、現在HSPを研究している専門家にとっても。


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最近、感覚処理感受性(世の中でいうところのHSP気質)の問題を指摘した論文が発表された(下記)。


Hellwig, S., & Roth, M. (2021). Conceptual ambiguities and measurement issues in sensory processing sensitivity. Journal of Research in Personality, 93, 104130. https://doi.org/10.1016/j.jrp.2021.104130



(心理学が科学かどうかはさておき)科学的な営みというのは、批判と検証の繰り返しで発展していくものだと思う。なので、感覚処理感受性に対する建設的な批判へ真摯に向き合うことは、この分野の発展にとっても重要だ(と私は考える)。そこで今回の記事では、あえてこの論文を取り上げたい。


感覚処理感受性の問題点


端的にまとめると、この論文の主張は以下の通りだ。


Aron & Aron(1997)が提唱した感覚処理感受性という新しいパーソナリティ特性は、定義があいまいだし、定義の根拠にも矛盾がみられる。具体的にどういうことかといえば、感覚処理感受性は、(1)新しいパーソナリティ特性ではないし、(2)感覚刺激を処理するための特性でもない。


(1)について、感覚処理感受性は、すでに確立されたBig Fiveパーソナリティ特性のうち神経症傾向(N)、外向性(E)、開放性(O)で説明できる。


驚くことに※、この研究で収集されたデータは、感覚処理感受性を測定するHSP尺度の「易興奮性」下位尺度とBig Fiveの「神経症傾向」との間にr = .91(95%CI [.86, .96])の相関、HSP尺度の「美的感受性」下位尺度とBig Fiveの「開放性」との間にr = .90(95%CI [.78, 1.00])の相関を示した。この数字だけみれば、「易興奮性」と「神経症傾向」、「美的感受性」と「開放性」はほとんど同じであることを表す。


※なぜ「驚くことに」と書いたかといえば、感覚処理感受性とBig Fiveの相関を調べた既存の研究では、ここまで高い相関係数が報告されることはないからだ。ただ、先行研究では観測変数を用いて相関を算出したのに対し(e.g., Lionetti et al., 2019)、この研究では潜在変数が使用されている(相関の希薄化という点で、潜在変数を用いたこの研究の方が相関係数が高くなるのは理解できるが…それにしても相関係数が極めて高い)。


(2)について、この研究では、他人の感情を正確に認識する能力と感覚処理感受性との間には(神経症傾向と開放性を統制したうえでも)弱い相関しか示さなかった。


これらの実証的なデータをもとに、論文の著者らは、感覚処理感受性の定義や新しいパーソナリティ特性としての独自性に疑問を呈している。


彼らの指摘は他にもある。以下に箇条書きで示す。


(3)感覚処理感受性がヒト以外の種にもみられる特性である証拠として、魚類(パンプキンシード)の知見が提示されている (Aron et al., 2012)。感覚処理感受性の定義には「深い認知的処理」が含まれるが、「認知的処理」の特徴がほとんど知られていない魚類の知見を、感覚処理感受性のエビデンスとして見なすことができるのか疑問である。


(4)感覚処理感受性は、連続的な変数であると説明されているが、ときにカテゴリカルな説明がなされることがある(e.g., HSPか非HSPか)。例えば、15~20%を感覚処理感受性の高い人(HSP)と定義したり(Aron & Aron, 1997)、あるいは30%をそうと定義することもある(Lionetti et al., 2019)。しかし、感覚処理感受性が連続的な特性であるのであれば、これらのカットオフは意味がないか、あるいは恣意的なものにみえる。それに、そうしたカットオフはどの点にでも設定することができる。


(5)Aron & Aron(1997)は、HSPを15~20%とする根拠として、Kagan(1994)の乳幼児の気質についての知見を提示している。しかし、乳幼児の気質についての知見を感覚処理感受性という新しい概念に適用できるかどうかは疑問である。もしAronらの主張が正しいのだとしたら、感覚処理感受性はKagan(1994)が提唱した行動抑制特性とどのように違うのだろうか。


(6)感覚処理感受性の定義があいまいなので、この特性を特徴づけるとされる「認知的処理の深さ(D)」「刺激に対する圧倒されやすさ(O)」「情動・共感的反応の高まり(E)」「ささいな刺激への気づき(S)」がなぜ互いに関連すると想定されるのか、またこれらの特徴のうちどれがもっとも定義とかかわるのか不明瞭である。



…ということで、この論文の主張をまとめてみた。

HSPの専門家は、上記の問題をどう答えるだろうか。


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ここからは少しだけ私見を書きたい。


私はこの論文の主張について、一部は的を射ていると思うし、一部は同意できないとも思っている。


まず前提として、この論文で実施された研究にも問題がないわけではないので(e.g., 偏ったサンプリングや用いられた分析の適切さなど)、この論文だけで上記の主張を強く支持することは難しいだろうとは思う。


また、この論文は、最も初期の論文「Aron & Aron(1997)」に対する批判が中心であるようにみえる。確かに、1997年当時の感覚処理感受性の定義はまだ確立されていないし、感覚処理感受性を特徴づけるとされるDOESも当初は想定されていなかった。その点で、指摘された問題点は的を射ているものもある。


とはいえ、その後30年近くにわたって、感覚処理感受性の概念やそれに関連する理論が精緻化されてきたのもまた事実であると思う。この点で、今回の論文は、最近の知見や関連する理論(特にヒトの発達にかかわる差次感受性理論や生物感受性理論)への言及が足りていないようにも見える。あくまでこの論文は「パーソナリティ心理学」の領域でみたときの感覚処理感受性というパーソナリティ特性を批評している。


(3)については、私自身の不勉強でよくわからない。ヒトがもつパーソナリティ特性が、それ以外の種にも存在すると証明されるにはどのようなデータがあればよいのだろう?


(4)はおおむね同意で、HSP尺度についてはカットオフポイントを定める必要はないと思う。介入などの目的で感受性の高い人だけを抽出する際、カットオフポイントは役に立つかもしれない。だが、なぜ「アウトカム側の変数(e.g., 抑うつ症状)」ではなく「特性側の変数(i.e., 感覚処理感受性)をカットオフポイントの対象にするのだろうか?


(5)についてもおおむね同意で、「HSPを○○%」とする根拠に、抑制的な子どもの割合に言及したKagan(1994)の知見を用いる必要はないと思う。むしろ進化心理学的な観点に立ち、「なぜ感受性には個人差があるのか、その適応的な意味は何か、なぜ感受性の高い個体が少数派の時に種にとって利点があるのか」について説明するほうが重要に思う。「○○%がHSP」と論じるのではなく、あくまで「感受性が高い人は少数派で、そのことには様々な利点がある」という説明でよい気がする。


(6)については、知見が蓄積されつつあるものの、この論文の指摘通り、感覚処理感受性を特徴づけるDOES間の関連については不明瞭な点が多い。さらなる研究が求められる。




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